11/02/2011
RICHO IPSiO NX96e テイキメンテナンスジキ
これで、メンテナンスモードに入れる
”PMカウンタクリア”で、出てくる項目、全部クリア。
終了
定期交換部分キットタイプ85
2/04/2010
Win7でproxycfgがない
netsh winhttp import proxy source=ie
プロキシの設定を確認
netsh winhttp show proxy
netshについては、こちら
Netsh Commands for Windows Hypertext Transfer Protocol (WINHTTP)
http://technet.microsoft.com/ja-jp/library/cc731131(WS.10).aspx
12/02/2008
カップ麺なみの手間でできる6つの健康的激うま格安レシピ
ハイライトトピック
■次元の違う旨さの「おひたし」の超簡単な作り方(調理器具洗い不要)
■炭火で焼いたような香ばしい焼き魚を超簡単につくる方法(調理器具・食器洗い不要)
■甘くて美味しい焼き芋もどきを超簡単につくる方法(調理器具洗い不要)
■美味しいアイスコーヒーを簡単・確実につくる方法(器具洗い不要)
■超低カロリーのポップコーンを超簡単に格安でつくる方法(調理器具・食器洗い不要)
■甘くて美味しい湯豆腐もどきを超簡単につくる方法(調理器具洗い不要)
はじめに
ここで紹介するのは、
料理のスキルもセンスもない人が、お金も手間も時間もかけず、
確実に美味しくて栄養のある食事
を作るためのレシピです。
ためしてガッテン流だと手間がかかりすぎるので、
ガッテン流を超ものぐさ人間用に改造
したものが多いです。
あまりにも手抜き過ぎて、もはや「料理」ではありませんが(笑)。
もっと平たく言うと、ようは、
料理するのは面倒だし、料理をしたあとの食器洗いがめんどくさい。
だいたい、自分で料理したら、たいていマズイ。
定食屋の焼き魚は、カリっと香ばしく焼けているのに、自分で焼き魚を焼くと、油っぽかったり、生臭かったり、いまいち。
でも、外食やコンビニやホカ弁の味はワンパターンで飽きてきた。
もっとバリエーション豊かな、新鮮な味を楽しみたい。
という方々向けに有効だと思われるテクニックを並べてみました。
次元の違う旨さの超手抜き「おひたし」
■解決すべき課題
通常の方法で小松菜のおひたしを作ると、以下のような問題が発生します。
- お湯で茹でるとき、小松菜の味、風味、栄養がお湯の中に溶け出してしまうので、風味、味、栄養が劣化してしまう。
- 小松菜を茹でた後、鍋、鍋の蓋、ザルなどを洗うのがめんどくさい。
- スーパーで安売りされているときに小松菜をまとめ買いすると、ついつい食べきれずに時間が経ち、小松菜がしなしなになってしまう。また、まとめ買いすると、しなしなになる前に小松菜を消費しようと、毎食小松菜ばかりになって飽きてくる。
- ついうっかり茹ですぎて風味が台無しになることがある。料理のセンスやテクニックのない人でも、リスクなく、安定して美味いおひたしを作れるようになってない。
■解決策
小松菜を洗って、ざく切りにして、フリーザーパックに入れて冷凍し、それを自然解凍する。
これだけで、非常に美味しいおひたしが作れます。茹でません。
ようは、冷凍庫を調理器具として使うテクニックです。
茹でずに、単に凍らせて解凍すると、風味、味、栄養が逃げずに凝縮されてて、すごくおいしくなります。
味と風味は、おひたしというより、小松菜本来の、芥子っぽいような味と風味が濃厚に残っていて、浅漬けのようでもあります。
ただし、浅漬けのようにしょっぱくない。
普通のおひたしのように食べられます。
また、このやり方だと、鍋で茹でないので、食後に鍋、鍋の蓋、ザルなどを洗う手間もありません。
食べ終わった後に、おひたしのお皿を、ざっと水道の水で流すだけで、後片付けは終わりです。
そもそも、茹でるには、ゆで時間を正確にしないと、風味が損なわれてしまいます。
その、最高の味にするような正確なゆで時間のコントロールがめんどくさいです。
この方法だと、その辺の絶妙なテクニックのないひとでも、美味しいおひたしが安定して作れます。
基本的には、スーパーで小松菜が格安で売られているときに、まとめ買いして、
片端から洗って、ざく切りにして、フリーザーパックに詰めていくといいです。
で、朝、冷凍庫からフリーザーパックを一つ取り出して、冷蔵庫に移します。
夕方仕事から帰ってくると、かなり溶けているのですが、少し凍ってる部分が残っています。
なので、冷蔵庫からそれを取り出して、テーブルの上に置いておきます。
そうすると、ちょうど食べる頃に、完全に解凍されて美味しく出来上がっています。
このやり方だと、毎回スーパーに小松菜を買い出しに行かなくても済むし、
買っておいた小松菜を使うのをついつい忘れて、しなしなになってしまうこともありません。
これの元ネタはためしてガッテンです。
しかし、自分でやってみて、ためしてガッテンでは言ってなかった、いくつか重要な点を発見しました。
まず、ためしてガッテンでは、同じことはほとんどの青菜でできる、と言っていました。
なので、私も、同じことを、春菊や青梗菜(ちんげんさい)でも試してみました。
しかし、春菊の場合、なぜか、このやり方だと、風味が飛んでしまいます。
春菊の場合、買ってきてすぐに、さっとお湯で茹でて、ポン酢で食べた方が美味しいです。
青梗菜の場合、このやり方でもいけます。かなり美味しいです。しかし、小松菜のおひたしの方が、美味しさが際だっていると感じられました。
青梗菜の場合、解凍したものを青梗菜の中華風スープにも使えます。
ただし、青梗菜を投入するタイミングが、生の青梗菜とは異なります。
解凍した青梗菜をスープに投入するタイミングを、後の方にずらした方がよいようです。
それから、このおひたしの作り方はサラダや浅漬けと同様、湯がくことでシュウ酸などの天然の有害物質を抜いていないので、結石の原因になるのではないか、という話があります。
これに対して、ためしてガッテンに出ていた医師は、シュウ酸が大量に含まれることが知られているホウレンソウですら、湯通しせずに食べても、内臓に持病を抱えている人などを除けば、まず問題にはならない、と言っていました。
また、ネットを検索してみると、毎日よほど大量に生で葉っぱ類を食べ続けない限り、問題となるほどのシュウ酸摂取量にはならないようです。
炭火で焼いたような香ばしい焼き魚を、ほとんど手間なく作る方法
■解決すべき課題
- ガスコンロに付属している魚焼き器で焼くと、料理に手間がかかるし、後片付けも非常にめんどくさい。受け皿に水をいれ、火加減と加熱時間を精密に調節し、 適切なタイミングで裏返しにする必要がある。それに失敗すると、生臭くてマズイ魚になるか、真っ黒焦げになる。テクのない人には難しい。しかも、表面は焦 げているのに、いまいちカリっと焼き上がらない。焼いた後の受け皿や網を洗うのも非常にめんどくさい。
- フライパンで油を敷いて焼き魚を焼くと、魚が油っぽくなって、味が落ちる。焼いた後、フライパンを洗うのもめんどくさい。
- フライパンにクッキングシートを敷いて焼くと、もう少しマシだが、焼き時間の調節がめんどくさい。また、適切なタイミングで裏返さなきゃならないので、そのタイミングの見極めも難しい。
- 専用のフィッシュロースターを別に買うと、置き場所に困る。
■解決策
オーブントースターに、アルミホイルを敷いて、そこに魚を載せて焼く。
焼き上がったら、オーブントースターからアルミホイル毎取り出して、皿の上に載せて、そこで食べ終わったら、魚の骨や頭をアルミホイルに包んで捨てます。
食器を洗う手間はいらないです。
ただし、僕の家にあった古いタイプの安物のオーブントースターでは、いまいち上手く行きませんでした。
最新式の、大きなワット数の、少し値段が高い目のオーブントースターでやると、非常に美味しくできました。
古いタイプの安物のオーブトースターの問題点:
- 魚が完全に焼ける前に、サーモか何かが作動して、動作を停止してしまうことがある。(← そもそも、魚を焼くことを想定していない仕様になってる?)
- ヒーターが棒状で、しかも、上下に一本ずつしかついていないためか、ヒーターと魚との距離が近すぎるところと、遠すぎるところが出来てしまい、焼きムラができてしまう。ある箇所は真っ黒焦げで、ある箇所は生焼けになったり。
- サイズが小さすぎると、長い魚が中に入りません。
- なんだか生臭くなることがある。
ちなみに、僕が買った最新式のオーブントースターは以下のものです。
SANYO コンベクション オーブントースター 「熱風包み焼コンベクション」 熱風循環ファン+U字管ヒーター 加熱タイプ (ブラック) SK-WF10(K)
- 出版社/メーカー: 三洋電機
- 発売日: 2008/03/07
- メディア: ホーム&キッチン
なぜ、このオーブントースターだと、カリっと焼き上がるのかの原因を、ぼくは把握していません。考えられる原因を、以下に列挙してみます。
- 魚が完全に焼き上がるまで、サーモで動作が停止してしまうようなことはない。(←ハンバーグも焼けるような仕様になってるので、魚も焼けるようだ)。
- 上下のヒーターがそれぞれU字型になっており、四方から魚へ熱を放射するようになっているため、焼きムラができないのかもしれない。
- 説明書には「温風を送る」と書いてある。温風でまんべんなく加熱するため、焼きムラができないのかもしれない。また、温風で表面の水分がとんで、表面だけカラリと乾いたできあがりになるのかも。
- 消費電力が1350Wとなっていて、昔使っていた安物の1000Wに比べ、火力が強い。
ち なみに、価格コムでこのトースターの最安値のものを買おうとしたのですが、送料や代引き手数料を入れると、アマゾンとほとんど変わらない値段になったの で、結局、ぼくはアマゾンで買いましたが、値段はいつも変化しているので、念のため価格コムで一番安いところをチェックしてみた方が良さそうです。
このオーブントースターは魚だけでなく、さまざまな調理に使えますので、フィッシュロースターのように魚専用に場所を取ってしまうようなこともありません。
また、オーブントースターで魚を焼くことの不安点として、以下があります。
- オーブントースターに魚の臭いが移ってしまうので、トーストやクッキーを焼くときに、魚臭くなってしまうのではないか?
実は、これも元ネタはためしてガッテンなのですが、ためしてガッテンでは、
- トースターで加熱するときに、食材は周囲に水蒸気や臭いを放出する一方であり、周囲の空気、水蒸気、臭いを吸収することはない。
と説明していました。
なので、ぼくも試しに魚を焼いた後のオーブントースターで、トーストやクッキーを焼いてみたのですが、臭い移りは感じられませんでした。
もちろん、魚を焼いた後、内部をティッシュで拭くぐらいはしています。
甘くて美味しい焼き芋もどきを超簡単につくる方法(食器洗い不要)
■解決すべき課題
- 薩摩芋を普通にお湯で茹でると、甘みが少なく、まずいゆで薩摩芋になる。
- 鍋にお湯を沸かし、芋をいれて、適切な時間を計るのがめんどくさい。
- 茹でた後、鍋、鍋の蓋、ザルを洗うのがめんどくさい。
- 土鍋を使って、水から弱火で薩摩芋を茹でると、酵素が働いて甘くて美味しい芋がゆであがるが、時間がかかりすぎてめんどくさい。
- 芋のうまみがお湯の中に溶け出してしまうような気がする。
- 普通に電子レンジでサツマイモを加熱すると、甘みが少なく、不味くなる。
- 鍋の底に小石を敷いて、弱火で石焼き芋にすると美味しく出来上がるが、時間も手間もかかるのでそうそうやってられない。
- 焼き芋専用の鍋を買うと、鍋を格納する場所を取るし、調理後、その鍋を洗うのがめんどくさい。なにより、自分1人分(お芋半分)だけの焼き芋を作るような場合でも、調理後、鍋全体を洗わなきゃならないのは不便すぎる。
■解決策
薩摩芋を電子レンジで1分半加熱し、そのあと電子レンジの解凍モードで15分程度加熱する。
石焼き芋が甘くて美味しいのは、石焼き芋にたくさんの糖分が含まれているからです。この糖分は、サツマイモの中の酵素が、サツマイモの中のデンプンを分解することでできます。
しかしながら、この酵素は、温度が低すぎても高すぎても作用しません。50~60℃の温度帯の時に、この酵素が活発に働くらしいです。
このため、沸騰したお湯にサツマイモを入れると、サツマイモが一気に100℃付近の温度帯になり、ほとんど酵素が働かないまま、ゆであがってしまいます。このため、沸騰したお湯にサツマイモを入れると、甘みがなく、不味くなります。
そこで、ためしてガッテンでは、土鍋を使って甘いサツマイモを作る方法が紹介されていました。土鍋に水をいれ、その水の中にサツマイモを入れて、水から煮ていくことで、酵素の働く温度帯をゆっくり通過し、甘みを作り出すのです。
しかしながら、このやり方だと、かなり時間がかかりますし、普段使わない土鍋をひっぱり出してくるのがめんどくさいです。しかも、茹で終わった後、土鍋を洗うのがめんどくさい。
また、サツマイモのうまみ成分がお湯に溶け出してしまうような気がするので、イマイチ。
このため、ためしに電子レンジでサツマイモを加熱してみたのですが、電子レンジだと、やはり急速に100℃付近まで温度が上がってしまうため、酵素が働く時間がなく、甘みがなくて不味いサツマイモができてしまいます。
そこで、電子レンジで酵素の働く温度帯をゆっくり通過させるために、まず、冷たいサツマイモを、酵素の働く温度帯まで普通にレンジで加熱した後、解凍モードで、その温度帯を長い時間維持するようにしてみました。
その結果、石焼き芋屋さんほどではないですが、それなりに甘くて美味しいサツマイモを、電子レンジで作れるようになりました。
これだと、甘みがお湯に溶け出してしまうことはなく、茹でる手間もなく、鍋を洗う手間もなく、簡単に焼き芋もどきがつくれます。
美味しいアイスコーヒーを簡単・確実につくる方法(食器洗い不要)
■解決すべき課題
- 市販のペットボトル入りアイスコーヒーは不味い。とくに風味が最悪。しかも、高い。
- 市販のアイスコーヒーは、重いので、買って家まで運ぶのがめんどくさい。容器がゴミになって、捨てるのもめんどくさい。
- コーヒーメーカーでアイス珈琲を作ると、粉やフィルターセットしたり、後で容器を洗ったりするのがめんどくさい。
- ドリップすると、失敗して不味い珈琲になることがある。
- インスタント珈琲は不味い。
■解決策
珈琲の粉を紙パックに入れたものと水を、1~2Lぐらいの容器にいれて冷蔵庫に入れておく。
いわゆる、水出し珈琲です。
これをホットで飲みたいときは、水出し珈琲をカップに入れて、電子レンジで加熱します。
紙パックは、1L分のもので10円で済みます。
私は、以下の水出しコーヒー用フィルターを使っています。
で、400gで399円とかのコーヒーの粉を買ってきて、この紙パックに詰め込んでいきます。
紙パックが10個ぐらいできますから、それをいくつかの小さなフリーザーパックに入れて、冷凍庫に入れておきます。
実際に作るときは、私の場合、100円ショップで買ってきた、900mlのビンに、そのパックを一つ入れ、浄水器を通した水を満タンに入れて、冷蔵庫に入れておきます。
なぜ、ミネラルウォーターではなく浄水器の水なのかというと、軟水の方がよく珈琲の成分が抽出できるのではないかと思うからですが、比較実験をしていないから、実際の所どうなのかはわかりません。
市販のペットボトル入りの物に比べると、自分で作った水出し珈琲は、味も風味もよいです。また、重たいペットボトルを運ばないで済むので楽です。
アイスで飲むときは、ブラックよりも、ある程度ガムシロップを入れた方が美味しく感じる人が多かったりしますが、
私の場合、はなまさのオリゴ糖(1kg 399円)を入れています。その方が、おなかにもよさそうなので。
自分でドリップ式でアイスコーヒーを作ろうとすると、失敗した場合、
エグいというか、非常に不味い珈琲になりますが、水出し珈琲だと失敗することはまずありません。
また、いちいちお湯を沸かす必要も、粉やフィルターをセットする必要も、ドリップの後片付けもいりません。
超低カロリーのポップコーンを格安で超簡単につくる方法(食器洗い不要)
■解決すべき課題
- 市販のポップコーンは、油がタップリ添加されているため、カロリーが高く肥満や糖尿病の原因になる。
- 市販のポップコーンの油は、オメガ6系脂肪酸のものが多く、オメガ6系脂肪酸の過剰摂取によってホルモンバランスを崩し、健康被害が起きるリスクがある。バターなどの飽和脂肪酸の含有量が多そうな場合もある。
- 市販のポップコーンは、味が濃すぎて、味覚がおかしくなる。とくに、普段から野菜本来の味を楽しむような料理を作っていると、市販のジャンクフードのどぎつい味はだんだん受け付けなくなってくる。
- 市販のポップコーンは、かさばるので、スーパーで買ってくるのがめんどくさい。ゴミも出るし、輸送にもコストがかかるので、環境にもよろしくない。
- ポップコーンの種を買ってきて、フライパンでポップコーンを作ると、出来上がったポップコーンが焦げてしまい、不味くなる。火加減も調理時間のコントロー ルも難しい。また、油っぽくて、カロリーが高く、しかも調理も後片付けもめんどくさい。また、ガスも油の値段もかかる。
■解決策
紙袋にポップコーンの種を入れ、電子レンジで加熱する。
500W電子レンジだと、3分20秒の加熱がちょうど良いようです。
紙袋はなんでもよいです。適当な大きさの物は、東急ハンズに売っています。
最 初のうちは、塩や胡椒をかけたり、エゴマ油につけたりして食べていましたが、慣れてくると味覚が変化し、塩も油も一切付けず、素のままのポップコーンその ままで美味しく食べられるようになってきました。最近は、もっぱら、何も付けないポップコーンを美味しく食べています。
ポップコーンの種は、普通にスーパーで買うと、だいたい150g138円とかなのですが、はなまさで買うと、1kg380円と破格に安い値段でポップコーンの種が買えます。これで、市販のポップコーン4000円分くらいは作れます。10分の1の価格ですね。
電子レンジで作ると、ちゃんと時間を正しく設定しておけば、焦げることなく、いつでも美味しいポップコーンが作れます。
電子レンジでポップコーンを作ると、破裂しなかった種が紙袋の底に溜まりますが、その種は次回また再利用できます。次回も破裂しなかったポップコーンの種は、破裂しないまま、こんがり茶色に焼けていますので、そのままポリポリ食べられます。
甘くて美味しい湯豆腐もどきを超簡単につくる方法
■解決すべき課題
- 湯豆腐はを普通にお湯で茹でて作ると、固くて不味い湯豆腐になる。
- 高級料亭のように、甘くて美味しい湯豆腐を作るには、絶妙の加熱時間と温度コントロールが必要だが、これをやるのは、けっこうめんどくさい。
- ためしてガッテンで、土鍋を使って、この絶妙の温度コントロールを簡単にやる方法が紹介されていたが、それでも、やはり土鍋用意したり、後片付けしたりするのがめんどくさい。
- お湯で茹でると、豆腐の甘みが、お湯の中に逃げてしまうような気がする。(気のせいかも知れない)
■解決策
豆腐を皿に載せて、電子レンジで加熱する。
豆腐のサイズにもよるが、これで何度か実験を繰り返し、豆腐が甘くて美味しく感じられるような温度帯になるような時間設定を見つける。
僕がよく食べるお豆腐だと、500Wの電子レンジで、1分40秒加熱すると、甘くて美味しいお豆腐になりました。
もちろん、精妙に温度コントロールして作られた湯豆腐の味には遠く及びませんが、少なくとも、ろくに温度管理せずに作った固い湯豆腐などよりも甘くて美味しくなります。
また、お鍋を洗う手間もないです。
さ らに、一個100円もしないような安物の豆腐でも、そこそこ甘くて美味しくなります。(消泡剤を使ってないものなら、安い豆腐でも美味しいということを repon氏から聞いたことがある気がしますが、実際に僕自身が食べ比べをやってみたことがないので、そこはよく分かりません。)
ぼくの場合、できあがったら、すぐに鰹節とポン酢で食べることが多いです。
ちなみに、ゆずを絞ってかける場合には、ゆずを半分に切ったら、ゆずの皮側を下にしてゆずを搾ると格段に風味が良くなります。ゆずの皮の中にある油泡がつぶれて、皮側から、ゆずの香り成分がとび出すからです。これもためしてガッテンで仕入れた情報です。
おわりに
超手抜き料理の情報源としては、ためしてガッテンはじつにすばらしいです。
しかし、その情報を鵜呑みにするのではなく、自分なりに検証し、改良し、応用すると、さらにすばらしい超手抜き料理の世界が広がります。
「Hello」と挨拶し続けてわかった11のこと
親は子供に「ちゃんとご挨拶しなさい」と言いますが、実は大人が「こんにちは」というチャンスはあんまりなかったりしますよね。「Reader's Digest」には、1カ月間、会う人会う人に「Hello」と言ってみた人の話が載っています。ジョー・キタさんは、道で会った知らない人、サイバースペースで出会った人、鏡の中の自分に向かって「Hello」と言い続けて、11のことがわかったそうですよ。
詳細は、以下にて。
【1】 挨拶するのは意外と難しい
冷蔵庫で固めるゼリーが、時間とともに固くなっていくように、年齢が私たちの心の殻を厚くしていってしまいます。あなたが本当は心優しい人でも、急 に「こんにちは」と言われた人は、「この人誰?」と警戒心を抱いてしまうかもしれません。ジョーは、49歳の頭の禿げたおじさんなので、カーリーヘアだっ たティーンの頃より、今の自分は親しみやすい容貌ではない、と言っています。オクラホマ大学のアラン・オールデイ准教授によると、「人間は、年を取れば取るほど無駄なことをしなくなる。誰かに話しかけるのは、その人に話すことがある時だけ、というふうになってくるから、その習慣を打ち砕くのは難しい。」のだそうです。
【2】 殺伐とした世の中だからこそ、「こんにちは」
私たちは、知らない人に挨拶なんてしないのが普通になってしまいました。だからこそ、「こんにちは」と言ってみたところ、人々がジョーに興味を持ってくれたようです。例えば、彼がメールの書き出しに「Hi」や「Hello」をつけたら、つけてない時よりも返事が来たし、レジの人の「Hello」と言ったら、いつもよりちょっといいサービスを受けたそうですよ。彼が挨拶したことによって周囲の人は、彼がそこにいる、ということに気づいたのです。
【3】 挨拶するとプロダクティビティが上がる
上記のオールデイ准教授は、中学校である実験をしてみました。それは、先生が毎朝生徒一人一人に声をかけて挨拶したら、生徒にどんな変化が見られるかを考察する、というものです。その結果、生徒のプロダクティビティは27%上昇しました。その理由を准教授は、挨拶されたことによって生徒は自分が個人として認識されたことを感じて、授業への参加度が高まり、学校全体での成績が上がるのにつながったのだろう、と説明しています。会社だったら、上司が部下に「おはよう」と声をかけたら、社員のプロダクティビティが上がるかもしれませんね。
【4】 思ってもみなかった人があなたの味方になる
ジョーが誰彼かまわず挨拶し続けたところ、本当はあまり近づきたくないタイプの人が、意外とあたたかく挨拶を返してくれたの だそうです。そういう人は、普段誰からもかまってもらえていないから、挨拶をされたというだけでうれしかったのかもしれない、とジョーは言っています。教 室やオフィスのすみっこにいるシャイなあの人に声をかけてみたら、実は気が合った、ということがあるかもしれませんね。
【5】 リスペクトしたらリスペクトしてもらえる
ジョーは毎日同じルートを同じ時間にジョギングしたり、自転車で通ったりするのですが、通り過ぎる車のドライバーに手を振るようにしたら、面白いことが起きたのだそうです。ドライバーたちは、ジョーに手を振り返してくれるだけではなく、道を明けてくれるようになったのです。ドライバーたちにとって、彼がちゃんと人として認識されたのですね。挨拶することによって、エクササイズがより安全なものになった、とジョーは言います。
【6】 人々の社交性は環境に影響される
ある調査では、ニューヨーク市38%の人が知らない人と握手するのに対し、小さな町では68%もの人が握手をするの だそうです。調査した人は、あたたかい環境にいればみんなより笑顔になるし、挨拶もするようになると言っています。ジョーも似たような経験をしました。都 会よりも郊外の方が、「Hello」と声をかけた時の反応がよく、観光地にいる人たちも、ダウンタウンで仕事に追われている人よりも感じよく挨拶を返して くれたそうです。
【7】 車の窓ガラスに貼るフィルムはやめた方がいいかも
高速道路が挨拶を交わすのに適切な場所ではないことはわかっていますが、道を譲ったり譲られたりするのには、相手のドライバーの顔が見えた方がいいで すよね。でも、窓ガラスにフィルムが貼られていては、車内が見えません。顔が見えないから危ない運転をしてしまうのでしょう。オートバイに乗っている人に 手を振ったところ、その人は気づいてもらえたということがとてもうれしそうでした。自動車に混じってオートバイで走るという恐怖を、少し和らげることがで きたのかもしれませんね。
【8】 子供相手には気をつけて
ジョーが「Hello」と言って一番無視されたのは車に乗っている人ですが、その次は5歳から15歳ぐらいの子供でした。でも、これはわかります。 子供から見たら、知らないおじさんが「Hello」と声かけてくるなんて、怪しいですよね。変な人だと思われるのは悲しいことですが。
【9】 挨拶で自分が集中できる
人に会ったら挨拶する、という単純なことが、考え事をしていた自分、ぼーっとしていた自分をその場に引き戻してくれます。ジョーによると、「挨拶は社会的禅」なのだそうです。
【10】 挨拶は結婚生活の危機を回避させるかもしれない
ジョーは結婚して24年になるのですが、今回の実験をしてみて、自分がいかに奥さんに対して挨拶していなかったか、ということに気づいたのだそうです。親しき仲にも礼儀あり。いつも一緒にいる人に対しては、挨拶だけでなくて、感謝の気持ちを表すのも忘れてしまいがちですが、今日からちゃんと伝えてみましょう。
【11】 挨拶で健康になる?
「こんにちは」と言う時には必ず笑顔になりますよね。そして、笑顔は次から次に伝わっていくものです。笑うとい う動作が血圧を下げたり、免疫力を高めたり、自然の鎮痛剤であるエンドロフィンを出させたりして、結果的にストレスを下げ、幸福感が高まる、ということは 既に知られていますが、カナダでのある研究では、さらに面白い結果が出ました。それは、コールセンターのスタッフがシフトに入る前に、「たくさんの写真の 中から笑顔のものを選び出す」というゲームをしたところ、シフトが終わった後のスタッフのストレスレベルが17%低かった、というものです。
以上が1カ月間、ジョーがいろんな人に「Hello」と言ってみて、わかったことです。もしかしたら、挨拶で世の中がもっとよくなるんじゃないか、 と彼は思えてきました。挨拶をすることで、彼は社会と自分がつながっているということを再確認し、日々の暮らしに満足する、というのがどんなことがわかっ てきました。最初、挨拶するために自分の心の殻を破るのは勇気のいることでしたが、慣れてしまえばゲームにさえ感じられます。「文句ばっかり言って不機嫌 なこの人の心を開くことができるか」と、自分の挨拶の力に挑むのです。
あなたがジョーのこの1カ月の挑戦に興味を持ってくれたのなら、ぜひ試してみてくださいね。でも、彼のようにかたっぱしから挨拶する必要はありません。1日に3人でもいいので、知らない人に挨拶してみてください。それを一年続けたら、1095人の人に挨拶することになりますよ。その全員と仲良くならなくても、新しい人間関係がそこから築けるかもしれません。最後に、挨拶をする相手として最も忘れてはいけない人は誰だかわかりますか?それは、あなた自身です。毎朝鏡を見て、あなた自身に「おはよう」と言いましょう。
What If You Said Hello to Everyone In Your Path for a Month?[Reader's Digest.com]
11/04/2008
RFK
http://www.rfkmemorial.org/lifevision/speeches/
The Strategy of Peace
Commencement Address at American University
President John F. Kennedy
Washington, D.C., June 10, 1963
President Anderson, members of the faculty, board of trustees, distinguished guests, my old colleague, Senator Bob Byrd, who has earned his degree through many years of attending night law school, while I am earning mine in the next 30 minutes, distinguished guests, ladies and gentlemen:
It is with great pride that I participate in this ceremony of the American University, sponsored by the Methodist Church, founded by Bishop John Fletcher Hurst, and first opened by President Woodrow Wilson in 1914. This is a young and growing university, but it has already fulfilled Bishop Hurst's enlightened hope for the study of history and public affairs in a city devoted to the making of history and the conduct of the public's business. By sponsoring this institution of higher learning for all who wish to learn, whatever their color or their creed, the Methodists of this area and the Nation deserve the Nation's thanks, and I commend all those who are today graduating.
Professor Woodrow Wilson once said that every man sent out from a university should be a man of his nation as well as a man of his time, and I am confident that the men and women who carry the honor of graduating from this institution will continue to give from their lives, from their talents, a high measure of public service and public support.
"There are few earthly things more beautiful than a university," wrote John Masefield in his tribute to English universities--and his words are equally true today. He did not refer to spires and towers, to campus greens and ivied walls. He admired the splendid beauty of the university, he said, because it was "a place where those who hate ignorance may strive to know, where those who perceive truth may strive to make others see."
I have, therefore, chosen this time and this place to discuss a topic on which ignorance too often abounds and the truth is too rarely perceived--yet it is the most important topic on earth: world peace.
What kind of peace do I mean? What kind of peace do we seek? Not a Pax Americana enforced on the world by American weapons of war. Not the peace of the grave or the security of the slave. I am talking about genuine peace, the kind of peace that makes life on earth worth living, the kind that enables men and nations to grow and to hope and to build a better life for their children--not merely peace for Americans but peace for all men and women--not merely peace in our time but peace for all time.
I speak of peace because of the new face of war. Total war makes no sense in an age when great powers can maintain large and relatively invulnerable nuclear forces and refuse to surrender without resort to those forces. It makes no sense in an age when a single nuclear weapon contains almost ten times the explosive force delivered by all the allied air forces in the Second World War. It makes no sense in an age when the deadly poisons produced by a nuclear exchange would be carried by wind and water and soil and seed to the far corners of the globe and to generations yet unborn.
Today the expenditure of billions of dollars every year on weapons acquired for the purpose of making sure we never need to use them is essential to keeping the peace. But surely the acquisition of such idle stockpiles--which can only destroy and never create--is not the only, much less the most efficient, means of assuring peace.
I speak of peace, therefore, as the necessary rational end of rational men. I realize that the pursuit of peace is not as dramatic as the pursuit of war--and frequently the words of the pursuer fall on deaf ears. But we have no more urgent task.
Some say that it is useless to speak of world peace or world law or world disarmament--and that it will be useless until the leaders of the Soviet Union adopt a more enlightened attitude. I hope they do. I believe we can help them do it. But I also believe that we must reexamine our own attitude--as individuals and as a Nation--for our attitude is as essential as theirs. And every graduate of this school, every thoughtful citizen who despairs of war and wishes to bring peace, should begin by looking inward--by examining his own attitude toward the possibilities of peace, toward the Soviet Union, toward the course of the cold war and toward freedom and peace here at home.
First: Let us examine our attitude toward peace itself. Too many of us think it is impossible. Too many think it unreal. But that is a dangerous, defeatist belief. It leads to the conclusion that war is inevitable--that mankind is doomed--that we are gripped by forces we cannot control.
We need not accept that view. Our problems are manmade--therefore, they can be solved by man. And man can be as big as he wants. No problem of human destiny is beyond human beings. Man's reason and spirit have often solved the seemingly unsolvable--and we believe they can do it again.
I am not referring to the absolute, infinite concept of peace and good will of which some fantasies and fanatics dream. I do not deny the value of hopes and dreams but we merely invite discouragement and incredulity by making that our only and immediate goal.
Let us focus instead on a more practical, more attainable peace-- based not on a sudden revolution in human nature but on a gradual evolution in human institutions--on a series of concrete actions and effective agreements which are in the interest of all concerned. There is no single, simple key to this peace--no grand or magic formula to be adopted by one or two powers. Genuine peace must be the product of many nations, the sum of many acts. It must be dynamic, not static, changing to meet the challenge of each new generation. For peace is a process--a way of solving problems.
With such a peace, there will still be quarrels and conflicting interests, as there are within families and nations. World peace, like community peace, does not require that each man love his neighbor--it requires only that they live together in mutual tolerance, submitting their disputes to a just and peaceful settlement. And history teaches us that enmities between nations, as between individuals, do not last forever. However fixed our likes and dislikes may seem, the tide of time and events will often bring surprising changes in the relations between nations and neighbors.
So let us persevere. Peace need not be impracticable, and war need not be inevitable. By defining our goal more clearly, by making it seem more manageable and less remote, we can help all peoples to see it, to draw hope from it, and to move irresistibly toward it.
Second: Let us reexamine our attitude toward the Soviet Union. It is discouraging to think that their leaders may actually believe what their propagandists write. It is discouraging to read a recent authoritative Soviet text on Military Strategy and find, on page after page, wholly baseless and incredible claims--such as the allegation that "American imperialist circles are preparing to unleash different types of wars . . . that there is a very real threat of a preventive war being unleashed by American imperialists against the Soviet Union . . . [and that] the political aims of the American imperialists are to enslave economically and politically the European and other capitalist countries . . . [and] to achieve world domination . . . by means of aggressive wars."
Truly, as it was written long ago: "The wicked flee when no man pursueth." Yet it is sad to read these Soviet statements--to realize the extent of the gulf between us. But it is also a warning--a warning to the American people not to fall into the same trap as the Soviets, not to see only a distorted and desperate view of the other side, not to see conflict as inevitable, accommodation as impossible, and communication as nothing more than an exchange of threats.
No government or social system is so evil that its people must be considered as lacking in virtue. As Americans, we find communism profoundly repugnant as a negation of personal freedom and dignity. But we can still hail the Russian people for their many achievements--in science and space, in economic and industrial growth, in culture and in acts of courage.
Among the many traits the peoples of our two countries have in common, none is stronger than our mutual abhorrence of war. Almost unique among the major world powers, we have never been at war with each other. And no nation in the history of battle ever suffered more than the Soviet Union suffered in the course of the Second World War. At least 20 million lost their lives. Countless millions of homes and farms were burned or sacked. A third of the nation's territory, including nearly two thirds of its industrial base, was turned into a wasteland--a loss equivalent to the devastation of this country east of Chicago.
Today, should total war ever break out again--no matter how--our two countries would become the primary targets. It is an ironic but accurate fact that the two strongest powers are the two in the most danger of devastation. All we have built, all we have worked for, would be destroyed in the first 24 hours. And even in the cold war, which brings burdens and dangers to so many nations, including this Nation's closest allies--our two countries bear the heaviest burdens. For we are both devoting massive sums of money to weapons that could be better devoted to combating ignorance, poverty, and disease. We are both caught up in a vicious and dangerous cycle in which suspicion on one side breeds suspicion on the other, and new weapons beget counterweapons.
In short, both the United States and its allies, and the Soviet Union and its allies, have a mutually deep interest in a just and genuine peace and in halting the arms race. Agreements to this end are in the interests of the Soviet Union as well as ours--and even the most hostile nations can be relied upon to accept and keep those treaty obligations, and only those treaty obligations, which are in their own interest.
So, let us not be blind to our differences--but let us also direct attention to our common interests and to the means by which those differences can be resolved. And if we cannot end now our differences, at least we can help make the world safe for diversity. For, in the final analysis, our most basic common link is that we all inhabit this small planet. We all breathe the same air. We all cherish our children's future. And we are all mortal.
Third: Let us reexamine our attitude toward the cold war, remembering that we are not engaged in a debate, seeking to pile up debating points. We are not here distributing blame or pointing the finger of judgment. We must deal with the world as it is, and not as it might have been had the history of the last 18 years been different.
We must, therefore, persevere in the search for peace in the hope that constructive changes within the Communist bloc might bring within reach solutions which now seem beyond us. We must conduct our affairs in such a way that it becomes in the Communists' interest to agree on a genuine peace. Above all, while defending our own vital interests, nuclear powers must avert those confrontations which bring an adversary to a choice of either a humiliating retreat or a nuclear war. To adopt that kind of course in the nuclear age would be evidence only of the bankruptcy of our policy--or of a collective death-wish for the world.
To secure these ends, America's weapons are nonprovocative, carefully controlled, designed to deter, and capable of selective use. Our military forces are committed to peace and disciplined in self- restraint. Our diplomats are instructed to avoid unnecessary irritants and purely rhetorical hostility.
For we can seek a relaxation of tension without relaxing our guard. And, for our part, we do not need to use threats to prove that we are resolute. We do not need to jam foreign broadcasts out of fear our faith will be eroded. We are unwilling to impose our system on any unwilling people--but we are willing and able to engage in peaceful competition with any people on earth.
Meanwhile, we seek to strengthen the United Nations, to help solve its financial problems, to make it a more effective instrument for peace, to develop it into a genuine world security system--a system capable of resolving disputes on the basis of law, of insuring the security of the large and the small, and of creating conditions under which arms can finally be abolished.
At the same time we seek to keep peace inside the non-Communist world, where many nations, all of them our friends, are divided over issues which weaken Western unity, which invite Communist intervention or which threaten to erupt into war. Our efforts in West New Guinea, in the Congo, in the Middle East, and in the Indian subcontinent, have been persistent and patient despite criticism from both sides. We have also tried to set an example for others--by seeking to adjust small but significant differences with our own closest neighbors in Mexico and in Canada.
Speaking of other nations, I wish to make one point clear. We are bound to many nations by alliances. Those alliances exist because our concern and theirs substantially overlap. Our commitment to defend Western Europe and West Berlin, for example, stands undiminished because of the identity of our vital interests. The United States will make no deal with the Soviet Union at the expense of other nations and other peoples, not merely because they are our partners, but also because their interests and ours converge
Our interests converge, however, not only in defending the frontiers of freedom, but in pursuing the paths of peace. It is our hope-- and the purpose of allied policies--to convince the Soviet Union that she, too, should let each nation choose its own future, so long as that choice does not interfere with the choices of others. The Communist drive to impose their political and economic system on others is the primary cause of world tension today. For there can be no doubt that, if all nations could refrain from interfering in the self-determination of others, the peace would be much more assured.
This will require a new effort to achieve world law--a new context for world discussions. It will require increased understanding between the Soviets and ourselves. And increased understanding will require increased contact and communication. One step in this direction is the proposed arrangement for a direct line between Moscow and Washington, to avoid on each side the dangerous delays, misunderstandings, and misreadings of the other's actions which might occur at a time of crisis.
We have also been talking in Geneva about the other first-step measures of arms control designed to limit the intensity of the arms race and to reduce the risks of accidental war. Our primary long range interest in Geneva, however, is general and complete disarmament-- designed to take place by stages, permitting parallel political developments to build the new institutions of peace which would take the place of arms. The pursuit of disarmament has been an effort of this Government since the 1920's. It has been urgently sought by the past three administrations. And however dim the prospects may be today, we intend to continue this effort--to continue it in order that all countries, including our own, can better grasp what the problems and possibilities of disarmament are.
The one major area of these negotiations where the end is in sight, yet where a fresh start is badly needed, is in a treaty to outlaw nuclear tests. The conclusion of such a treaty, so near and yet so far, would check the spiraling arms race in one of its most dangerous areas. It would place the nuclear powers in a position to deal more effectively with one of the greatest hazards which man faces in 1963, the further spread of nuclear arms. It would increase our security--it would decrease the prospects of war. Surely this goal is sufficiently important to require our steady pursuit, yielding neither to the temptation to give up the whole effort nor the temptation to give up our insistence on vital and responsible safeguards.
I am taking this opportunity, therefore, to announce two important decisions in this regard.
First: Chairman khrushchev, Prime Minister Macmillan, and I have agreed that high-level discussions will shortly begin in Moscow looking toward early agreement on a comprehensive test ban treaty. Our hopes must be tempered with the caution of history--but with our hopes go the hopes of all mankind.
Second: To make clear our good faith and solemn convictions on the matter, I now declare that the United States does not propose to conduct nuclear tests in the atmosphere so long as other states do not do so. We will not be the first to resume. Such a declaration is no substitute for a formal binding treaty, but I hope it will help us achieve one. Nor would such a treaty be a substitute for disarmament, but I hope it will help us achieve it.
Finally, my fellow Americans, let us examine our attitude toward peace and freedom here at home. The quality and spirit of our own society must justify and support our efforts abroad. We must show it in the dedication of our own lives--as many of you who are graduating today will have a unique opportunity to do, by serving without pay in the Peace Corps abroad or in the proposed National Service Corps here at home.
But wherever we are, we must all, in our daily lives, live up to the age-old faith that peace and freedom walk together. In too many of our cities today, the peace is not secure because the freedom is incomplete.
It is the responsibility of the executive branch at all levels of government--local, State, and National--to provide and protect that freedom for all of our citizens by all means within their authority. It is the responsibility of the legislative branch at all levels, wherever that authority is not now adequate, to make it adequate. And it is the responsibility of all citizens in all sections of this country to respect the rights of all others and to respect the law of the land.
All this is not unrelated to world peace. "When a man's ways please the Lord," the Scriptures tell us, "he maketh even his enemies to be at peace with him." And is not peace, in the last analysis, basically a matter of human rights--the right to live out our lives without fear of devastation--the right to breathe air as nature provided it--the right of future generations to a healthy existence?
While we proceed to safeguard our national interests, let us also safeguard human interests. And the elimination of war and arms is clearly in the interest of both. No treaty, however much it may be to the advantage of all, however tightly it may be worded, can provide absolute security against the risks of deception and evasion. But it can--if it is sufficiently effective in its enforcement and if it is sufficiently in the interests of its signers--offer far more security and far fewer risks than an unabated, uncontrolled, unpredictable arms race.
The United States, as the world knows, will never start a war. We do not want a war. We do not now expect a war. This generation of Americans has already had enough--more than enough--of war and hate and oppression. We shall be prepared if others wish it. We shall be alert to try to stop it. But we shall also do our part to build a world of peace where the weak are safe and the strong are just. We are not helpless before that task or hopeless of its success. Confident and unafraid, we labor on--not toward a strategy of annihilation but toward a strategy of peace.
10/07/2008
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Windows XP で[グラフィックスハードウェアアクセラレータ]の設定を変更
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[設定]タブ→[詳細設定]ボタン→[トラブルシューティング]タブの
[ハードウェアアクセラレータ]のスライダを1目盛下げる。
http://support.microsoft.com/kb/436945/ja
私の場合は、これで解決。